平凡な社会福祉士のさらなる挑戦☆


by sw-michihiro
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カテゴリ:震災と復興( 2 )

Excite エキサイト : 社会ニュース
ブログをする人の事を「ブロガー」というらしいが
初心者ブロガーのゼミ長は
まだまだ、ブログをするたびに新たな発見ばかりです

今回は「トラックバック」
最初はドラッグバッグ?薬のカバン?(?_?)
とか訳分からんことを考えていましたが
「他人のブログや記事を引用してブログをすること」(違う?)
なんだ・・・と(*^-^)ノ

でも、実際にはどうするか分からず
分からなかったら、まずはやってみるゼミ長
ってことで、恥ずかしながら

初トラックバックしてみました~!

いわゆる「初体験?」( ´,_ゝ`)プッ

それはそうと
昨晩、友人とメールの応酬・応酬・打ち合い・壮絶な打ち合いをし
気が付いたら深夜の1時・・・
そこから床について・・・起きたら昼の12時前

メシ食って、テレビをつけたら
連日やっている「国会の中継:構造偽装疑惑の証人喚問」
誰が悪いのかというのはあまり興味はなく

被害に遭われた住民の皆様以外は悪いんだから!

昨年10月に起こった「パキスタン地震」
死者が7万人を超したとの報道がありました
地震そのものもマグニチュード7.6と大きかったのですが
(阪神淡路大震災はM7.3)
首都イスラマバード等では倒壊した建物の下敷きになって
亡くなった方も少なくはなく
建物の強度についても問題になりました

1999年の起こった台湾大地震でも
ビルの倒壊等の被害が多く出ていましたし
同じ1999年のトルコ北西部地震では17000人
2003年のイラン大地震では、倒壊した家屋に40000人以上の死者が出ています

阪神淡路大震災でも
阪神高速が倒壊したり
古くからの木造家屋や建築基準法改正以前のマンションなどは
多く倒壊して、多くの住民が下敷きになり犠牲になりました

あれから11年
作る側の意識ってどれだけ変わったんだろうか・・・
震災等の防災意識って
住民と行政との協力や連携は不可欠ですが
民間企業もよりよい街や安全な建物を作っていく義務や責任があるのではないか・・・と

親父は1級建築士だったんですが
その親父にあこがれて「工業高校に行きたい」って行ったら
「アホか!建築家なんかなってもいいことはない、普通科に行って大学は出とけ」
といわれたのを思い出しました

いまでも親父は憧れですし、遥かなる目標です
でも「建築家にはなるな!」って言ったことも
少しわかったような気がします

でも、私は社会福祉士
利用者や住民から住宅改修の相談を受けることもありますし
よりよい街づくりを住民と一緒に作っていく
専門職としての責任があります

ですから他人事じゃないんですよね・・・
一昨年にはマンションも買って、ローンもまだまだ残っているんで∑( ̄口 ̄)
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by sw-michihiro | 2006-01-19 15:41 | 震災と復興

1月17日

1995年1月17日
当時は京都のO谷大学の2回生で
実家(大阪府吹田市)で両親、妹の4人家族で
暮らしていました

その日は
翌日に控えた後期試験の中国語の勉強(?)
をしていて・・・

「あっ、もう5時か・・・」

風呂入って寝ないと
そう思って風呂に入り、床についたのが
5時40分

そろそろ寝ようかという時
自分の部屋から見える西の窓の外の空が
オレンジ色に光ったと思ったら

ズトーン!グラグラグラ・・・

「うわっ、地震や」
と思う間もなく
部屋のタンスや本棚が自分の所に向かって倒れてきました!

小学校とかで『地震が起こったら』
机の下に隠れるか
安全な場所に避難しなさい
って、言われたのを思い出しました・・・

「そんなん、ウソやん・・・」

机はひっくり返っているし
家の中は真っ暗でどこが安全かわからんやん

実家は2階建てで、私だけが2階で寝ていました
「みちひろ(注:『四つ葉のクローバー』さんはこう呼んでいますが…本名です)
大丈夫か!」親父の声が聞こえてきました

「何とか、ケガもしてへんで!」
間一髪でした
タンスと本棚の隙間を抜け出し
伝い1階へ降りて、状況が知りたいと思いTVをつけたら

「つかない・・・」

部屋中の明かりも停電している・・・
自動車のカーラジオなら
と思い着の身着のままで自動車へ

『ただいま、大きな地震がありました!震源地は神戸方面』

震源地は、神戸か・・・

『大阪は、震度4』

絶対ウソや!
1週間前、大学の授業中に地震があって
その時の京都が『震度4』やったんで
絶対、同じ揺れじゃない・・・
大阪でこんな揺れやったら神戸はどうなってるんや?

『さきほど入った情報では、神戸市のおばあちゃんが落ちてきたテレビに当たりケガをしました・・・』

ケガをしたおばあちゃんには申し訳ないけど
アホか!そんた大した事ない地震な訳ないやろ・・・

近所の人も外へ出てきて、
不安そうな表情で皆、さっきの地震について話してる・・・

気が付いたら日が昇っている・・・
家の中はメチャメチャだったが
徹夜で勉強(?)していたため自動車の中で仮眠をとる

お昼前、電車は運行停止しているため
大学には行けないので当時付き合っていた彼女に電話する

つながらない・・・

また電話する

つながらない・・・

そういう状態が30分ぐらい続きやっとつながる

ゼミ長(注:もちろん当時はこう呼ばれてません) :「もしもし・・・」
当時の彼女 :「あっ、ゼミ長?どうしたん?」
ゼミ長 :「『どうしたん?』やあるかい!こっちは大変なんや!」
彼女 :「何が?」
ゼミ長 :「何が『何が?』やねん!ニュース見てへんのかい!」
彼女 :「あっ、地震?こっち(京都市)は全然揺れてへんよ、ゼミ長んとこは?」
ゼミ長 :「だから、大変や!と言っとるやないかい!」
彼女 :「明日は試験やから今日の授業は大切よ」
ゼミ長 :「行けたら行ってる!ちゅ~ねん!」
彼女 :「そうなん?」

ただでさえ、どこか抜けている彼女でしたが
天王山を挟んで西と東ではこうも感覚が違うとは・・・

結局、大学へは行けず(当たり前ですが)
家で、昼まえに点いたテレビにずっと釘づけになってました

そこに飛び込んできた映像は目を覆うものばかりでした・・・

・甲子園球場近くの倒壊した阪神高速
・よく行く阪神競馬場の近くの山手ががけ崩れで人が生き埋めに
・よくデートした「うろこの館」などの異人館街
・受験時代に仲間と朝までしゃべって過ごしたメリケンパーク
・親父とドライブやつりに行ったポートアイランド
・待ち合わせに使っていた神戸国際会館の「マクド」
見るも無残な姿になってる

そして・・・呆然としていたり、泣き崩れている人の姿

ぼ~っと見ていたつもりなのに涙が止まりませんでした・・・

予備校時代
よく授業をサボって遊びに行っていたのが神戸
当時26歳で社会人を辞めて浪人していた人がいて
その人の車でほぼ毎日、神戸方面にドライブに行ってました

その思い出の街が壊れてく・・・

そんな思いでテレビを見ていました
そういや、西宮と尼崎の友人は大丈夫か!?

「大丈夫か!?」
尼崎の友達はその日にチャリンコで
俺の安否を心配しに武庫之荘から来てくれました
「いやいや、アンタの方が大変ですから・・・残念!」
なんて波田陽区のギャグは当時にはなく(笑)
でも、お互い無事でよかったね・・・なんて話をしたかな?

「大丈夫やったか?」
「こっちは何とか、お前んとこは?」

電話でも友人とのやり取りが2・3日は続きました・・・

西宮の友人とは連絡はとれず
でも安否確認で大丈夫だったとの・・・よかった

月日は流れて、現在は神戸に住んでます
街並みは当時以上に復興しています

駅前には市民の広場ができました
でも、かつてはその場所に住んでいた人がいました

その人はどう思ってるんでしょうか?

今日のニュースでも
『震災から11年、神戸の街は復興しました』
といってますが
本当に復興したのでしょうか?

震災で亡くなった方は6434名
犠牲者の数で被害の大きさは語れないけど
去年、肉親を失って本当の悲しみを知りました

それだけまたそれ以上の悲しみが震災にはあったんだなぁ・・・

って、
親を失った人、子どもを失った人
兄弟姉妹あるいは祖父母や孫
愛する恋人や友人・・・など

実家の近くに仮設住宅が出来ていましたが
実際にそこで生活していた訳でもなく
そういう苦労も知りません・・・

実際には被災者とはいえないので
「こんなブログをしてよかったんかなぁ」
って今でも思ってます
でも「風化」させてはいけないと思い
今日はこういう内容にしました

見た目の神戸は復興してきています
でも、被災された方にとっての震災は
形や映像では計り知れないものがあるのではないか
と思います

「あの刻を忘れない」
社会福祉士としてまた神戸に住む人間として
出来ることは何か・・・
そんな事を振り返った
2006年1月17日でした
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by sw-michihiro | 2006-01-17 20:11 | 震災と復興